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2017.2.8~ 「日本に帰国した理由。担当した数々のアーティスト」
杏子と政哉の Spice of Life GOLD
10代でロンドンで筆を握ってから30年になり、
美の集大成本『TAKAKO THE BEAUTY BOOK』が発売されました。中には、画家になりたかったというTAKAKOさんが描く
絵と言葉も掲載されています。
そんな杏子の好きな言葉は、
“孤独は、愛おしいモノのシルエットが
くっきりと浮かび上がる大切な時間”。「いろんなメイクが、70年代、80年代は
過去のものになってますが(笑)
リバイバルで巡ってくるからね。
今年は80年代のチークの入れかた流行ってるから」TAKAKOさんがメイクで1番大切にしているのは、”ベースメイク”。
80年代、陶器肌が流行しましたが、
ニューヨークでは、徐々にノーファンデーションの時代になり、
コンシーラーとパウダーだけになったそう。
「本来人間が持っているツヤ感、を表現することで、
オートクチュールのドレスが映える、っていうと感覚になってたわけよ。」
当時、日本は厚塗り大国。
日本とニューヨークを行き来していたTAKAKOさんは、
日本に”ツヤ肌”をどんどん持ち込んでいきました。19歳の時のTAKAKOさんの作品は、
すでにモードで、シネマな雰囲気。
「卒業作品。これ自分の服で、安い帽子と1930年代のキセルを見つけて、
モノトーンで、この時は、マットな肌ですよね。」
当時コンピューターも無く、修正ができません。
TAKAKOさんの技術の素晴らしさを感じ取ることができます。「哲学は、その人の持つ、顔の無限の可能性を引き出す!
押し付けるのではなく、どうやったら最大限に美しくなるか、かな。」メイクアップアーティストと、ミュージシャンは、
密接で、心も近い存在です。
「いろんなミュージシャンのラストコンサートやってきましたね。
YUKIちゃんとか、SPEEDとか。最後いつも一緒ですね。
そういう時の気持ちってナーバスだし、熱入っているし、
だから、各界の方々に勉強させていただいて。
工藤静香ちゃんも、アジアツアーもつきっきりでしたね。」
工藤静香さんと、工藤さんの専属スタイリストの方は、
TAKAKOさんにとって、日本の芸能界のいろはを教わった人物でした。「日本に帰国したのは、ニューヨークの治安が良くなくて。
私も町でナイフで刺されそうになったし。
その時、渋谷系だなんだって、日本が盛り上がって元気があったんですよ。
だから、日本に自由があって、楽しそうだなー日本帰ろっかな〜って」M1. 奏(かなで)re:produced by スキマスイッチ / スキマスイッチ
M2. Breakout / Swing Out Sister
M3. スウィート・ソウル・レヴュー / Pizzicato Five