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2021.11.3 ~ ゲスト:大野雄二さん②
杏子と政哉の Spice of Life GOLD
今週は、改めて作曲家の道を選ばれた、その理由から。杏子「そもそも、音楽との出会いは何だったんでしょうか?」大野「姉貴がピアノ習っていて、家にピアノがあったんです。
それで自分も習いたいと思って習ってみたら、
『習うってつまらないな』って。
習う前から耳で聞いて自由にメロディを弾くのは好きだったけど、
こう弾かないとダメって決まっているのが耐えられなくて。」松室「それ何歳頃のお話ですか?」大野「6歳とか?」杏子「あはは(笑)」大野「僕熱海に住んでたんだけど、そのうち、先生の来る曜日になると
裏山のミカン畑に隠れて逃げて、1時間半くらいミカン食べてた。」それでもピアノ好きは変わらず、ピアノからは離れることはなかった大野さん。
ご実家は旅館だったため、小学生時代から大人と話すことが多く、
東京への憧れも強かった幼少期を過ごされました。少しでも東京に、という思いから、小田原の中学校に通っていたところ、
モダンジャズのバンドの生演奏を目にしました。大野「僕が聞いてもわからない、難しいものだったけど、何かすごいと思った。
そのあと、日吉の慶応高校に入ったんだけど、
修学旅行で汽車に乗ったら、ギター持ってる人がいたりして!
それで、『音楽って聴くだけじゃなくて、自分達でもできるんだ』ってわかってきた。」杏子「その後の高校生活はいかがでしたか?」大野「高校1年の秋に、日吉祭で、ジャズ喫茶とかもあって。
高校でバンドやってるっていうので、俺もやろう、と。
自分にはピアノしかないから、よく分かんないけど、デタラメ。
ベースとドラムがいて、トリオでバンドを始めて...」音楽に精通した学生に囲まれて過ごす学生生活。
大野さんは、高校3年になる頃には、ある程度のコード進行でアドリブができるまでに!大学進学後にも、演奏のうまい先輩達と関わりのある バンドに所属を続け、
ついに独学で作曲を始めるようになったそう。松室「どこのタイミングで、プロに、と?」大野「大学の途中から、プロの穴埋めの仕事をするようになって
いろんなバンドや、米軍キャンプでピアノで演奏してた。
だから、学生のころからプロの知り合いが多くなって、
大学4年のときに、クラシック系のクラリネット奏者の藤家虹二さんのバンドに入ったね。
これがプロミュージシャンの最初のバンド。プロになるしかないな、と。」その後、20代中盤からCM音楽作りの依頼を人づてにもらい始め、
商品イメージから、秒数内で作品を作ることも始められた大野さん。このCM音楽が、広告・メディア音楽の世界へと進まれるきっかけでした。大野「今まで、好きなように勝手にジャズやってたのに、全部制約!
でも、その制約を満たして、音ができた時、
周りに良かったと言われる喜びにしびれちゃってね」来週も、まだまだ大野さんのヒストリーを紐解いていきます。
お楽しみに!M1. 泣き笑いのエピソード / 秦基博
M2. MILK TEA feat. Akari Dritschler / Yuji Ohno & Lupintic Six