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山手線命名100周年 東京一周ぶらり旅 田町~品川編 ~『久々のロケに行ったら、都内でした!』の巻③~
KIKI-TABI ~2 Thousand Miles~
『田町』って東京以外にお住まいの方にとっては、どの位の認知度なんだろう?
山手線でも井門の中では割とマイナーな駅名なのが、この『田町』なのだ。
いや正直に告白しますと、東京で暮らし始めた10年前から、
この街にはあまり足を踏み入れた事はないのです。
えっ? 慶応大学の三田校舎があるぢゃない、って?…あっ、そうか…。
お洒落大学、慶応の校舎があるから何となく僕の足が向かなかったのか…(負け惜しみか)
でも確かラーメン好きの中にコアなファンを持つ『二郎』の本店があるのも三田。
(神保町の二郎には若い頃、お世話になりました。)
僕が学生時代に組んでたBANDのドラムは慶応…。
何となくぼんやりとした印象を持つ街が田町なのですが(田町に失礼ですね、井門)、
今回のYAJIKITAぶらり旅はここからスタートなのです!!ここ田町は今はビジネス街としての顔を見せてくれるのだが、古くは薩摩藩の藩邸が構えられたり、
ちょいと歩けば赤穂浪士が眠る事でも有名な泉岳寺があったり、日本史の中にあって、
様々な転換を経験してきた土地とも言えるわけです。ちなみに田町とは「芝・芝浦・三田」のエリア。
芝浦って言うともうアレですね、【ジュリアナ東京】。ジュリアナが全盛期だった90年代、
ここ田町駅では、始発を待つ露出度の高い服を着たお姉さん達の姿を毎日の様に見られたそうな。
今とは違い、日本全体がなんとなく浮足立っていた時代。田町はそんな時代も見ているわけだ。
ぢゃあ今、そんなバブルの産物が残されているか? というと…何も残っていないんですね。
まさにバブルは泡だった、何も残さず消えてった、と。
ところがやはり日本人が「この国を良くしよう!」「この国の為に自分は何が出来るのだろう?」
と今よりも真剣に考えていた倒幕期から明治時代の物は、しっかりと残されている。この皮肉。田町駅の三田口からスタートし、目の前の第一京浜を品川方面へ歩くのが今回の旅の趣旨。
集合時間も山手線のラッシュにどんかぶりのYAJIKITA ON THE ROAD。
普段なかなか乗る事の無いラッシュ時の電車に胸をときめかせていたスタッフも、
まぁ…少なからずいたわけなんですが…そんな時に限って山手線が遅れ…。
慣れない事をする時ってのはこういう事が起こるものなんですね…。
ただでさえ混雑する山手線が、もう目も当てられない状況と言うわけなのです。
朝も8時台、快晴の東京。しかし田町駅前に集合した我々には、もう疲労の色が(笑)
今回もおっさん4人のYAJIKITAは、平均年齢30代後半!!
1日中歩きでの取材に若干の不安は拭い去れない筈なんですが、…ん??
おいおいスタッフよ、何故僕に万歩計を渡す(苦笑)?
ははは、なる程そういう事か。はい、今日も物凄く歩く事確定…。「山手線命名100周年 東京一周ぶらり旅」も、この田町~品川編で3回目。
チームYAJIKITAもそろそろこなれた頃です(あっ、でも期待しないでね)。
このぶらり旅の面白い所は、スタッフがどんどん喋りに参加しながら収録を進めていく点でしょうか。
最近はそういう形態のTVも本当に増えましたね。でもそもそもラジオの面白さって、
閉じられた世界(スタジオ内とか、少数で行く取材とか)の中でスタッフの笑い声が入ったりする事や、
出演者からスタッフへ突っ込みが入ったりする事だとも思うんです。
なので、この形態での収録は「そもそものラジオが持っていた性質」に素直に従った形ぢゃないかと。
内輪トークではなく、しっかりとロケハンをしたスタッフとのトークも今回の目玉。
ぢゃあ、者どもいくぞ~!!第一京浜をしっかりと品川方面に進むのだぁ~!!横山「あっ井門君、そこ右に曲がって浜松町方面ね。」はいよ~。いやぁ、世の中不況でなかなか深夜料金の時間にタクシー使ってくれる人も少なくなってね。
お客さん、お仕事何関係の人? あっ、マスコミ関係? そう、ラジオなの。僕もね、よく聴くんだよ。
好きな番組はね、あれ、大沢悠里さんの…なんつったっけ? あ、オタクらFMの人なんだ。ごめんね、
この車FMの放送入んないんだよ~。いやぁ、参った参った…。って、参ってる場合かっ!?そりゃあ、井門が苦手とする乗ノリ突っ込みもしたくなりますよ。
旅の始まりからいきなりだもの、いきなり逆方面だもの…。人間だもの。
ここは素直に品川に行くと思ったんですが、まさに波乱の幕開け。一体井門をどこに連れ出そうと?冒頭にも書きましたが、この田町という場所はその昔『薩摩藩邸』があった土地。
そしてその薩摩藩は、江戸から明治へと時代が変わる中で様々な偉人を輩出してきた所。
この田町にあった薩摩藩邸にも時代を作った名場面が数多く残されています。皆さんは江戸城の無血開城という言葉はご存知でしょうか?
歴史の教科書に載っているこの言葉、一度は耳にした事のある方も多いと思います。時は幕末。
新政府軍と幕府軍はまさに一触即発の時期。
江戸を目指し攻めてきた新政府東征軍を率いるのは薩摩の豪傑・西郷隆盛。
迎え撃つのは陸軍総裁である天才・勝海舟。
このまま両軍が戦えば、江戸100万人の人々は無事ではいられない事は必至。
恐らくその戦火は江戸だけに留まるものでは無くなるかもしれない。
徳川の歴史250年の決断を迫られたのは、最後の将軍となる徳川慶喜。
『自分は殺されても良い。しかし江戸の民を危険に晒すわけにはいかない。』
かくして陸軍総裁・勝海舟の命を受けた山岡鉄舟は単身で東征軍本陣の駿府城へと乗り込み、
西郷隆盛に武力ではなく交渉の場を設ける事を伝えます。
…民の悲しむ姿は見たくない、江戸を戦火から守りたいのは日本人として同じ…。
西郷はこれを受け勝海舟との話し合いに臨み、ここに江戸城の無血開城が成し得たわけです。そしてその会見が行われたのが、ここ田町にあった薩摩藩邸であったと。
今日も笑顔の放送作家・久保氏に連れていかれたのは、その跡地だったんです。
田町駅を浜松町方面に進む事およそ100m。
現在は自動車のショールームがある場所に、それはひっそりとありました。旅の日記はこちらから