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ナイツ塙「『炎症がおさまらなければ足を切断します』みたいに言われて…」2000年に起こった“大事故”とブレイクまでの“下積み時代”を振り返る

TOKYO SPEAKEASY
TOKYO FMで月曜から木曜の深夜1時に放送の“ラジオの中のBAR”「TOKYO SPEAKEASY」。今回のお客様は、徳光和夫さんとナイツ・塙宣之さん。ここでは、塙さんがナイツ結成からブレイクするまでの下積み時代を振り返りました。


(左から)徳光和夫さん、塙宣之さん


◆ナイツ結成直後に…

塙:僕は2000年にナイツを結成した直後に交通事故で死にかけたんですよ。

徳光:え!?

塙:左足の大腿骨を複雑骨折して(骨が)外に飛び出ちゃって。

徳光:それは自分で?

塙:はい、バイクに乗っていたときに車とぶつかってしまいまして。それで「骨から菌が入っちゃって壊死をし始めている」となって、強い薬で菌を殺していたんですけど「あと1週間経っても炎症がおさまらないようだったら足を切断します」みたいに言われて、それが2000年6月だったんですよ。

徳光:うーん。

塙:コンビを結成してネタも何も作っていないのに大ケガしちゃって。それでも、薬を飲んでなんとか治って今はまったく問題ないんですけど。

徳光:へえ。それはやっぱり、さっき僕と西城秀樹さんの話をしましたけど、やっぱり、土屋(伸之)さんとの出会いが大きかったの?

塙:まぁそうですね。大学のときに出会ってコンビを結成して……そのモチベーションはあったかもしれないですね。なんとか早く足を治して(芸人を)やりたいみたいな気持ちはあったので。

◆8年間の「下積み時代」

徳光:その前に、お兄さん(ピン芸人・はなわさん)がブレイクしていたじゃないですか。

塙:兄がブレイクしたのは2003年なんですよ。

徳光:そうなんだ。でも、あなたたちも2000年頃はブレイクしていなかったでしょ?

塙:もちろんです、僕らは2008年です。

徳光:そうですよね。

塙:2000年は兄が芸人を始めて5年目ぐらいだったんですけど、まったくダメだった頃で。さらに僕がこんな(大ケガをした)状況だったので、親はもう本当に最悪だったろうなと。

徳光:そうでしょうね。

塙:もう大変なことになっちゃったって感じでしたね。でも、その後に兄が「佐賀県」っていう曲でバーンと売れたので。

徳光:すごかったよね!

塙:はい、その後は僕も1年ぐらい足のリハビリをして、そこからナイツとして活動を始めて、8年ぐらいでやっとテレビに出られたっていう感じだったんですけど。

徳光:その8年間は何をしていたの?

塙:ずっとアルバイトをしつつ、2002年に内海桂子の弟子になって。

徳光:2002年なんだ。じゃあ、内海桂子さんが結成のきっかけではないんだ。

塙:そうなんです。もともと大学のときからやっていて、2000年にコンビを組んで2002年にマセキ芸能社っていう事務所に所属して。

徳光:知っていますよ。

塙:もう亡くなった当時の会長が「漫才協会に(マセキの)芸人を入れる」っていうのがずっと好きだったというか、そこから芸人を輩出したいっていう考えの方で、それで、会長に「内海桂子の弟子になれ」って言われたんですよ。それはちょっと本当に寝耳に水でしたけどね。

<番組概要>
番組名:TOKYO SPEAKEASY
放送日時:毎週月-木曜 25:00~26:00
番組Webサイト:https://www.tfm.co.jp/speakeasy/
番組公式X:@TokyoSpeakeasy

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