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PROGRAM NO.2015-0031 7/30~8/3

「坂崎さんの番組」という番組
PROGRAM NO.2015-0031 7/30~8/3

『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』第105回

←1963年(初年度)の ギブソンDOVE(ナチュラル)ディーン・マーチンはちょっと古過ぎるし、 他の人達はあんまり馴染みがなかったSYDFでした。 勉強になるなぁ、このコーナー。 団しん也さんに久々にお会いしたくなりました。『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』第105回 今回のSYDFは「テ」で始まるアーティストの8回目。ラインナップは・・・『テイラー・デイン(Taylor Dayne)』★1962年3月7日、アメリカ・ニューヨーク州ボールドウィン生まれのダンスポップ系シンガーソングライター。 本名:レスリー・ワンダーマン。 高校卒業後、地元のロックバンドで歌ってたところ25歳の時にレコード会社のスカウトマンの目に留まり、 1年の準備期間を経て1988年26歳にしてデビュー。 元々は、ロック系のシンガーでしたが当時の世界的なダンスミュージックブームに乗ってダンスナンバーでデビュー。♪テル・イット・トゥ・マイ・ハート(Tell It To My Heart)*オーストラリア・オランダ・ドイツ・スイスで1位、イギリスで3位、本国アメリカでも7位を記録し大ヒット。 *この曲も収められたデビューアルバム『Tell It To My Heart』 からは、他にも4曲がシングルカットされ大ヒット。★翌1989年リリースの2ndアルバム『キャント・ファイト・フェイト』からも4曲のシングル全てが大ヒット。♪愛に帰りたい(Love Will Lead You Back)*アルバム『キャント・ファイト・フェイト』からのシングル。 *1990年、初の全米1位を獲得。『ディール(The Deele)』★1981年、オハイオ州シンシナティで結成された6人組のR&Bグループ。 1983年にアルバム『ストリート・ビート』でデビュー。 1stアルバムからのシングル「ボディ・トーク」は全米R&Bチャートでは3位。しかし、2ndアルバムは残念ながら不発。 そして1987年に発表された3rdアルバム『アイズ・オブ・ア・ストレンジャー』からシングルヒットが誕生。♪トゥ・オケージョンズ(Two Occasions)*1988年、R&Bチャートでは4位、全米シングルチャートでは10位。 *2ndボーカルとしてビブラートのかかった優しい歌声を聴かせてくれるのが、 後にプロデューサーとして数々の大ヒットを連発するベイビーフェイス。『ティル・チューズディ('Til Tuesday)』★1983年、マサチューセッツ州ボストンで結成された女性1人、男性3人からなる4人組のロックグループ。 紅一点でボーカルのエイミー・マンは名門バークリー音楽大学に入学するも中退。 ヤング・スネイクスというパンクロックバンドを結成し、そのグループ解散後、 大学時代の仲間と作ったグループが「ティル・チューズディ」。 地元ボストンでのバンドコンテストで見事、優勝し、1985年シングル「愛のヴォイセズ」でレコード・デビュー。♪愛のヴォイセズ(Voices Carry)*1985年、全米8位まで上昇。 *MTVビデオミュージックアワードで最優秀新人賞を獲得★翌1986年に2ndアルバム『ウェルカム・ホーム』を、1988年に3rdアルバム『エヴリシングス・ディファレント・ナウ』を発表。 しかしヒットに恵まれず1989年解散。ボーカルだったエイミー・マンは、すぐにソロ活動をスタートさせますが、 グループ時代の所属レコード会社との契約問題が原因で約4年間、アルバムを発表出来ない状態に。 そして1993年、やっとソロアルバム『ホワットエヴァー』を発売。 その後、映画界から注目を集め数々のサントラ盤に参加。 1997年、俳優ショーン・ペン(元マドンナの夫)の実の兄であり、シンガーソングライターのマイケル・ペンと結婚。 そんな彼女の映画関係の仕事の中から、ビートルズ・ファンにはおなじみの映画『アイ・アム・サム』から エイミー・マンとマイケル・ペンとのデュエットを。♪トゥ・オブ・アス(Two Of Us) /エイミー・マン&マイケル・ペン『ディーン・マーティン(Dean Martin)』★1917年 6月7日、オハイオ州スティーベンヴィル生まれ。 イタリア系アメリカ人で本名はディノ・ポール・クロセッティ。 高校中退後、禁酒法時代のヤミ酒場をはじめ、ボクサー、バーの用心棒や、 違法ルーレットのカジノディーラー等々、危ない仕事の数々をこなします。 そして1940年代初頭、クラブまわりをしていた楽団の専属歌手に。 その時、本名のディノ・クロセッティから、ディノ・マルティーニに変え、 さらに、バンドリーダーからの助言を元に「ディーン・マーティン」に改名。 1946年、クラブ歌手として活動中ニューヨークで当時、無名だったコメディアン 「ジェリー・ルイス」と知り合い即興のコンビとしてクラブに出演。 これが映画関係者の目に留まり、映画『底抜けシリーズ』(1949-1956)が大当たり。♪想い出はかくの如く(Memories Are Made Of This)*1955年、全米チャートで6週連続のナンバーワン獲得。★1956年、ジェリー・ルイスとコンビを解消した後、 同じくイタリア系アメリカ人のフランク・シナトラに誘われ「シナトラ一家」に参加。 サミー・デイヴィス・ジュニアなどと共に、映画・ステージ等で大活躍。 そんな中、彼のコンサートなどでの登場テーマ曲となった曲が、1964年見事全米ナンバーワンに輝きました。♪誰かが誰かを愛してる(Everybody Loves Somebody)*日本では「団しん也さん」のモノマネでもおなじみ。★晩年は長年の不摂生がたたって体調を壊したディーン・マーティン。 1995年12月25日、肺ガンに併発した肺気腫により亡くなっています。享年78歳でした。次回 「坂崎さんの番組」という番組 『坂崎音楽堂』アメリカの未発表音源集「ロスト&ファウンド」特集







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