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そこに"おもてなし"はあるんか?~東京オリンピック開幕前日譚~
おもてなし茶圓のニッポンチャチャチャ
お・も・て・な・し♪
どうも、JFNオリンピックレポーターの、”おもてなし茶圓”です。

何だこいつ~~!!?!?と思ったアナタ。
まあ落ち着いて下さい。ジョイマン池谷じゃないんだから。
思えば「TOKYO 2020」は、あのキャッチーで、どこかくすぐったい滝川クリステルさんの「お・も・て・な・し」というフレーズによって、一気に現実味が増した、と言って過言ではないでしょう。
今回は、そんな「おもてなし」をモットーとする私"おもてなし茶圓"の話を少しばかりさせて頂きます。
「お・も・て・な・し」が新語・流行語「年間大賞」に選ばれた2013年のこと。
当時大学3年生だった私は、周囲のみんなが巻き起こすムーブメントに逆らうことなく、流されるままに就職活動を始めます。
周囲を見渡すと、それまで一緒に大学近くの喫茶店や大学のラウンジでたむろしていた友人たちが、遊ばせていた毛先を切り、髪をジェルで整え、古着屋で買った服をスーツに着替え、THE就活生へトランスフォームしていく違和感に焦りを覚え、、、
果てには喫煙所でたばこを吸いながら、みんな揃いも揃ってこう言うのです。
「俺、東京オリンピックに仕事で関わりてえんだよな~」と。
東京でのオリンピックが決まった時、
「へえ日本でオリンピックやるんだ。人増えそうで嫌だな~」
「ひと試合でも見られたらラッキーだな~」
くらいにしか思っていなかった自分にとって、タバコの煙を吐きながら遠くを見つめる彼らの目の輝きは少しまぶしくて、思わず目を背けてしまうほどでした。
まぶしさに目を背けたついでに現実からも目を背けた(?)私は、内定を一つももらえず就職留年。
恥ずかしそうに夢を語りながら社会に飛び込んでいく仲間を尻目に、就活に励みます。
その後、皆に一年遅れてどうにか内定をGETした私は、2015年、営業として山形県に配属されました。
それから3年ほど経ったある日。
少しずつ仕事に慣れ、成果も出始めていた頃、同期の元ラガーマンのY君から「再来年オリンピックやね。俺東京オリンピックでボランティアやろうと思ってるんよ。良かったら茶圓もいっしょにやらん?」と誘われました。
また出た!
目を輝かせてオリンピックを語る男!!!
と思いつつも、その時は「まあ一生に一度の母国開催のオリンピックのボランティア・・・悪くないかもな」なんて話をしました。
結局その話をしたのはそれきりで、ほんとにボランティアをやるかどうかは結論の出ないまま、2019年夏に私がラジオの世界に飛び込むことを決めてしまったため、結局Y君がボランティアをやっているかどうかは実は今も知りません。
とにかく私は自分の周りの友人たちがあんなに目を輝かせて語る「オリンピック」の存在に、畏敬の念に似た感情を覚えました。この感情には今も名前を付けられていませんが、当時は「オリンピックってすげえな。大きくて崇高で歓びに満ちたものなんだな」と感じたことは間違いありません。
そんな、ラジオの世界に転職して数ヶ月経ったある日。
私は突然部長から呼び出され、こう告げられます。
「茶圓、東京オリンピックの取材宜しくね」
身体中に衝撃が走りました。
大学の友人たちが「仕事で関わりたい!」と思っていた東京オリンピック。
Y君が「ボランティアで参加しようよ」と誘ってくれた東京オリンピック。
自分の人生には関係ないと思っていたオリンピックに、思わぬ形で自分が仕事で関わることが出来ると知った時、素直にこうおもいました。
ああ、「俺ほんとは東京オリンピックに携わりたかったんだな…」と。
その後世界はコロナ禍に苛まれオリンピックの開催は延期となり、誰もが心の年表にひっそりと書いていたであろう”2020年・東京オリンピック”は、幻となり消えてしまいます。
さらに追い打ちをかけるように様々なスキャンダルが現在進行形で発生しまくっていて・・・
そんな今だからこそ、自らに、そして”東京オリンピック”そのものに問いかけたい。
こんな世の中、「自分の国のアスリートを応援したい!」という気持ちは国民にあるんか?
あの時感じた「オリンピックってすげえな」という感情は本物だったのか!?
その答え合わせをしに行ってきます。
おもてなし茶圓のニッポンチャチャチャ、スタートです。
どうも、JFNオリンピックレポーターの、”おもてなし茶圓”です。

何だこいつ~~!!?!?と思ったアナタ。
まあ落ち着いて下さい。ジョイマン池谷じゃないんだから。
皆さん!おもてなしの心、忘れていませんか?
思えば「TOKYO 2020」は、あのキャッチーで、どこかくすぐったい滝川クリステルさんの「お・も・て・な・し」というフレーズによって、一気に現実味が増した、と言って過言ではないでしょう。
今回は、そんな「おもてなし」をモットーとする私"おもてなし茶圓"の話を少しばかりさせて頂きます。
「お・も・て・な・し」が新語・流行語「年間大賞」に選ばれた2013年のこと。
当時大学3年生だった私は、周囲のみんなが巻き起こすムーブメントに逆らうことなく、流されるままに就職活動を始めます。
周囲を見渡すと、それまで一緒に大学近くの喫茶店や大学のラウンジでたむろしていた友人たちが、遊ばせていた毛先を切り、髪をジェルで整え、古着屋で買った服をスーツに着替え、THE就活生へトランスフォームしていく違和感に焦りを覚え、、、
果てには喫煙所でたばこを吸いながら、みんな揃いも揃ってこう言うのです。
「俺、東京オリンピックに仕事で関わりてえんだよな~」と。
東京でのオリンピックが決まった時、
「へえ日本でオリンピックやるんだ。人増えそうで嫌だな~」
「ひと試合でも見られたらラッキーだな~」
くらいにしか思っていなかった自分にとって、タバコの煙を吐きながら遠くを見つめる彼らの目の輝きは少しまぶしくて、思わず目を背けてしまうほどでした。
まぶしさに目を背けたついでに現実からも目を背けた(?)私は、内定を一つももらえず就職留年。
恥ずかしそうに夢を語りながら社会に飛び込んでいく仲間を尻目に、就活に励みます。
その後、皆に一年遅れてどうにか内定をGETした私は、2015年、営業として山形県に配属されました。
それから3年ほど経ったある日。
少しずつ仕事に慣れ、成果も出始めていた頃、同期の元ラガーマンのY君から「再来年オリンピックやね。俺東京オリンピックでボランティアやろうと思ってるんよ。良かったら茶圓もいっしょにやらん?」と誘われました。
また出た!
目を輝かせてオリンピックを語る男!!!
と思いつつも、その時は「まあ一生に一度の母国開催のオリンピックのボランティア・・・悪くないかもな」なんて話をしました。
結局その話をしたのはそれきりで、ほんとにボランティアをやるかどうかは結論の出ないまま、2019年夏に私がラジオの世界に飛び込むことを決めてしまったため、結局Y君がボランティアをやっているかどうかは実は今も知りません。
とにかく私は自分の周りの友人たちがあんなに目を輝かせて語る「オリンピック」の存在に、畏敬の念に似た感情を覚えました。この感情には今も名前を付けられていませんが、当時は「オリンピックってすげえな。大きくて崇高で歓びに満ちたものなんだな」と感じたことは間違いありません。
そんな、ラジオの世界に転職して数ヶ月経ったある日。
私は突然部長から呼び出され、こう告げられます。
「茶圓、東京オリンピックの取材宜しくね」
身体中に衝撃が走りました。
大学の友人たちが「仕事で関わりたい!」と思っていた東京オリンピック。
Y君が「ボランティアで参加しようよ」と誘ってくれた東京オリンピック。
自分の人生には関係ないと思っていたオリンピックに、思わぬ形で自分が仕事で関わることが出来ると知った時、素直にこうおもいました。
ああ、「俺ほんとは東京オリンピックに携わりたかったんだな…」と。
その後世界はコロナ禍に苛まれオリンピックの開催は延期となり、誰もが心の年表にひっそりと書いていたであろう”2020年・東京オリンピック”は、幻となり消えてしまいます。
さらに追い打ちをかけるように様々なスキャンダルが現在進行形で発生しまくっていて・・・
そんな今だからこそ、自らに、そして”東京オリンピック”そのものに問いかけたい。
こんな世の中、「自分の国のアスリートを応援したい!」という気持ちは国民にあるんか?
あの時感じた「オリンピックってすげえな」という感情は本物だったのか!?
そして、そこに「おもてなし」はあるんか?
その答え合わせをしに行ってきます。
おもてなし茶圓のニッポンチャチャチャ、スタートです。