Vol.148 小豆島・葺田八幡神社
福田の歴史を見守って45年。葺田八幡神社・佐伯 寿昭宮司の勇退と「石の町」の記憶
今回は、小豆島の東側に位置し、古くから「石の町」として歴史を重ねてきた福田地区を訪ねました。
地区の中心に鎮座する葺田(ふきた)八幡神社。この3月をもって宮司を勇退される佐伯 寿昭(さえき としあき)さんにお話を伺い、神社の由来から地域の伝統、そして未来へと繋がるアートとの共生について紐解きます。
■ 「福田」の地名の由来:応神天皇へのおもてなし
葺田八幡神社の歴史は非常に古く、祭神には応神天皇をはじめとする三柱を祀っています。現在の「福田」という地名には、ある歴史的な伝承が深く関わっています。
かつて応神天皇がこの地を訪れた際、当時の村人たちが田んぼの中に丸太を立て、茅(かや)で屋根を**「葺いた(ふいた)」**仮の住まいでおもてなしをしたといいます。
この「葺いた田んぼ」が転じて「葺田」となり、現在の「福田」という地名に繋がったと伝えられています。佐伯宮司は、この歴史的なルーツを大切に守り、神社名を「葺田八幡神社」として継承されてきました。

■ 32歳からの神職、45年間の歩み
現在77歳の佐伯宮司。意外にも、神職の道へ進まれたのは30代に入ってからでした。港湾会社や市役所での勤務を経て、祖父の他界をきっかけに32歳で神職の資格を取得。以来、明治時代から続く佐伯家として、代々の重責を担ってきました。
「土木が専門だった」と語る佐伯宮司は、持ち前の知識を活かし、石材業で栄えた福田の町と歩調を合わせ、長年神社の維持に尽力されてきました。
今回、勇退を決意された理由は、神事に注ぐ誠実な姿勢にあります。
「自分自身が納得できる立ち振る舞いができなくなってきた。完璧な祭祀(さいし)ができないという思いで決断しました」
その言葉には、神様に仕える者としての厳格な姿勢を貫く覚悟を感じました。

■ 伝統の継承:フランス人が担いだ秋祭りの太鼓
過疎化が進む島では、伝統行事の維持も容易ではありません。葺田八幡神社の氏子数は現在300件余り。秋祭りの「太鼓台」を出すための担ぎ手不足という課題に直面しています。
そんな中、昨年は佐伯宮司の息子さんの会社の同僚たち約20名が応援に駆けつけました。そのうちの12名はフランス人。日本の神社で太鼓を担ぐという稀有な体験に、彼らは大喜びだったといいます。
「お祭りの後の『ドヤ(直会)』では、みんな入れ替わり立ち替わりお酒を飲んで盛り上がって。本当に喜んでいましたね」と、伝統が新しい形で活気づく様子を嬉しそうに語ってくださいました。
■ 神社とアートの共生:カール・プラントルと西沢立衛
葺田八幡神社の境内は、豊かな杜に囲まれているだけでなく、世界的なアート作品が溶け込んでいるのも大きな特徴です。
小豆島国際石彫シンポジウム: ドイツの彫刻家カール・プラントル氏がこの境内をいたく気に入り、自身の石彫作品を境内に設置。制作中にはむしろを敷いて作品の傍で寝るほど、この場所を愛したといいます。

瀬戸内国際芸術祭: 建築家・西沢立衛氏による作品「パビリオン」が境内に建立されています。

神社の境内にアート作品を置くという提案に対し、佐伯宮司は「地域の活性化になるなら」と、快く受け入れられました。伝統を守る一方で、新しい文化に対しても開かれたその姿勢が、福田の町に新しい風を呼び込んでいます。
■ 結びに
「専属の宮司がいなくなるのは寂しい」と語る佐伯宮司ですが、45年間の献身的な活動は、福田の石の歴史とともに深くこの地に刻まれています。
豊かな杜に囲まれ、古代の伝承と国際的なアートが響き合う葺田八幡神社。佐伯宮司が守り抜いたその美しい景色は、これからも福田の人々の心の拠り所として残り続けることでしょう。
【神社情報】
名称: 葺田八幡神社(ふきたはちまんじんじゃ)
場所: 香川県小豆郡小豆島町福田
