Vol.154 志々島・季刊誌「志々島だより」
10年後の「無人島」にさせないために。季刊誌『ふるさと志々島』北野省一さん、再始動への誓い

三豊市詫間町の宮の下港から定期船で20分。1200年の大楠が見守る志々島に、15年前、70歳でUターンされた北野省一さんを訪ねました。

北野さんは、島内外を繋ぐ季刊誌『ふるさと志々島』の発行人兼編集長です。2024年からお休みしていたこの冊子が、復活の時を迎えようとしています。
■ はじまりは、崩れた寺の修復から
『ふるさと志々島』が誕生したきっかけは、数年前の西日本豪雨でした。島にある古刹・利益院(りやくいん)が土砂崩れで大きな被害を受けたのです。
「島には公的な助けはなかなか届きません。昔から神社仏閣が壊れれば、自分たちで寄付を募って直す。それが島の『自治』なんです。でも、住民が20人ほどに減った今、自力での修復は不可能だと思われました」
しかし、北野さんは諦めませんでした。卒業生の名簿などを頼りに、島に縁のある全国の4500名に手紙を出したのです。「島を守りたい」という切実な願い。その結果、予想を大きく上回る支援が集まり、お寺は見事に修復されました。
「島を離れて長く経つ人でも、心の中に志々島を思ってくれている人がこんなにいる。その感謝を伝え、島の現状を知らせ続けなければならない」――その使命感から生まれたのが、この冊子でした。
■ 2年間の空白と、不屈のリハビリ生活
順調に発行を重ねていた北野さんを、突然の不幸が襲います。2年前、畑仕事中に転倒し、半身不随となる重傷を負ってしまったのです。
「2年間、リハビリ生活でした。今も指は自由には動きません。でも、どうしてもやり残したことがあるんです。今はパソコンのキーを親指一本で、一打一打叩きながら原稿を作っています。85歳になって物忘れも増えましたが、時間との戦いです(笑)」
■ 「懐かしさ」のその先へ。攻めの編集方針
これまでの『ふるさと志々島』は、島の古い家並みの記録や昔の風習など、懐かしい記憶を綴る内容が中心でした。しかし、休刊中に病室で考え続けた北野さんの想いは、より強い危機感へと変わっていきました。
「昔話ばかりしていては、島は10年後には無人島になってしまう。それではいかんのです。これからは、半分は歴史や現状の報告、あとの半分は『私たちはこうしたい。だから協力してほしい』という、未来への具体的な提案を載せていこうと考えています」
一人、また一人と人が増え、生活が継続できる島にするために、どんな小さな種でも蒔いていきたい。新しく生まれ変わる『ふるさと志々島』には、そんな「攻めの姿勢」が込められます。

■ 結びに
「志々島の歴史をここで閉ざしたくない」 親指一本で綴られるその言葉には、島の土を踏み、歴史を知る北野さんにしか書けない重みがあります。
一度は止まった時計の針が、85歳の編集長の情熱によって再び動き出しました。志々島の新しい道を歩むための「一号」が、まもなく全国の読者のもとへ届けられます。
