Vol.151 直島・40年の感謝を形に。節目の町民感謝祭 (ベネッセアートサイト直島)
「ベネッセアートサイト直島 町民感謝祭」開催と、笠原良二事務局長が語る歩み
2026年2月8日、雪が降り始めた直島。この日、直島・豊島・犬島を舞台に「ベネッセアートサイト直島」を展開する株式会社ベネッセホールディングスと公益財団法人福武財団による『町民感謝祭』が開催されました。
ゲストにお迎えしたのは、公益財団法人福武財団 事務局長の笠原 良二(かさはら・りょうじ)さん。今年で5回目となるこの感謝祭に込めた想いと、1985年のプロジェクト始動から現在に至るまでの40年の軌跡をお話しいただきました。
■ 日頃の感謝を形にする「町民感謝祭」
島民の方は日頃から入館料は無料ですが、あえて『感謝祭』という場を作る意義について、笠原さんはこう語ります。
「積極的に島の方に見に来ていただく機会を作ることが大事だと考えています。日頃足を運んでくださる方にも、少し切り口を変えて違ったツアーをしたり、普段入れないような時間や場所にも入ってもらったり。島の人だからこそ体験できることを通じて、我々の活動をより深く知ってほしいという思いがあります」
こうした対話の場を形にすることが、地域との関係を深める重要な機会となっています。
■ 1985年、三宅町長と福武哲彦氏の出会い
福武財団と直島の縁は、今から40年前、1985年11月に遡ります。当時の直島町長・三宅親連(ちかつぐ)氏と、福武書店の社長(当時)であった福武哲彦氏の出会いがすべての始まりでした。
三宅町長は1960年頃から、直島を「北(産業)・真ん中(生活)・南(特色ある開発)」の3エリアに分けた構想を持ち、南側の開発パートナーを10年以上待ち続けていました。一方で福武哲彦氏も、世界中の子供たちが集えるキャンプ場を瀬戸内の島に作りたいという構想を持っていました。この二人の想いが1985年に合致し、直島での活動がスタートしました。
■ 活動の分岐点:安藤忠雄氏による「地中美術館」の完成
40年の歩みの中で、笠原さんはいくつかの重要な分岐点を挙げられました。その中でも特に大きかったのが、安藤忠雄氏の設計による「地中美術館」の誕生です。
「一番大きいのはやはり地中美術館だと思います。それを機に、現在の福武財団の前身となる組織もできています。何より、非常に多くの方にお越しいただけるようになったという意味で、この美術館が果たした役割は極めて大きかったといえます」
美術館の完成は、直島のアート活動が世界的な注目を集める契機となり、組織としての基盤を固める重要な節目となりました。
■ 課題から生まれた「家プロジェクト」と山本忠司氏との縁
一方で、初期の活動には課題もありました。活動の拠点であった南側のエリアは、いわば観光地のような場所。船で到着したお客様は、専用の送迎バスでそのまま南エリアへ移動し、滞在が終わればまた港から帰っていくという流れが主流でした。

「集落の中はバスで通っているのですが、通過しているだけで、島の方との接点がほとんどないという状況でした。お客様からも『ベネッセの施設には行ったけれど、直島に行ったという感覚が弱い』という声がありました。こうした町民の方やお客様の思いを考え、島の暮らしと外から来る方の接点を作ろうと始まったのが、1998年の家プロジェクトです」
このプロジェクトの1軒目『角屋(かどや)』の修復において、香川を拠点に数々の名建築を残した山本忠司(やまもと・ただし)氏とのご縁がありました。
「山本さんにお願いしたことで、香川の建築文化の歴史と直島の活動が、最後、接点を持つことになりました。山本さんは『君たちがやりたいのはこういうことだよね』と言って、我々の意図を汲み取った修復のプランを作ってくださり、非常に多くのアドバイスをいただけました」
この出会いは、直島のアート活動が地域の文脈の中で進められる上で、大きな意味を持つものでした。

家プロジェクトによって、かつては集落を通過していた来訪者が町を歩くようになりました。そこで、外の人から「町並みが綺麗」「お庭を綺麗にされている」と褒められることが、島の方々にとっての自信や、誇りのようなものに繋がっていきました。
笠原さんは、「自分たちの当たり前の暮らしを外の人に褒めてもらえることが、島の良さや誇りになっていったのではないか」と振り返ります。
■ 「私たちはまだ若手」という謙虚な姿勢
笠原さんは、直島の強さは「産業、暮らし、アート」の共存であると語ります。
「北側で三菱マテリアルさんが100年以上、産業として島を支えてこられました。40年の私たちは、島の中ではまだ若手の部類です。地域を支えてきた大先輩がいらっしゃるからこそ、我々の活動もできる。その感覚を大事にしたいと考えています」
最後に・・・ 町民の皆さんの声
感謝祭に参加した町民の方々からは、以下のような声が寄せられました。
「アートで人と人とを繋ぐ感じが、ずいぶん良くなった」
「最初は興味がなかったけれど、今は自分で勉強して友達に案内するようになった」
「民間版の離島振興の見本として、長く続けてほしい」
40年前の出会いから始まり、地域の方々や建築家との交流を経て、今やアートは直島の「風景」の一部として、住民の皆さんと共に歩み続けています。

